逆襲のジャミラ

昭和の特撮やアニメで描かれた「自虐史観」「平和憲法」「戦後民主主義」を鑑賞するブログ

(2)ゴジラは反戦映画か、反核映画か ~東京大空襲と原爆〜

夜空を照らすサーチライト

ゴジラは荒ぶる神

『ゴジラ(1954)』DVD

ゴジラ』(1954年)には、たいていの場合「反戦」「反核」という単語がセットになって添えられることが多い。

 

このとき、たしかに『ゴジラ』が「反核」であることには疑いがない。もしも南太平洋で水爆実験が行われていなかったなら、ゴジラがこの世に誕生することはなかったからだ。

 

しかし「反戦」のほうはどうだろう。『ゴジラ』は怪獣映画であって戦争映画ではない。なのに『ゴジラ』のどこに、人は「反戦」を見るのだろう。

 

それを探るには、『ゴジラ』のなかでゴジラに与えられたイメージを、順番に追っていく作業が必要になるだろう。

 


『ゴジラ』において、ゴジラはまず「荒ぶる神」として語られる。

 

ゴジラが初めて日本の領土に現れたのは、伊豆諸島にある大戸島(おおどしま)だったが、その地には「ゴジラ伝説」とでも言うべき古くからの言い伝えがあった。

 

島の古老は言う。

 

「おそろしくでけえ怪物でしてね。海の魚を食いつくすと、今度は陸へ上がってきて人間までも食うそうだ。むかしは長く時化の続くときには、若え娘っ子をいけにえにして、遠い沖に流したもんだ。今じゃそんときの神楽がこうやって厄払いで残っているだ」

 

ここで古老の語る怪物のイメージの元祖は、日本神話の「ヤマタノオロチ」にさかのぼることができるだろう。Wikipediaにはヤマタノオロチについて、次のような記述がある。

 

オロチは水を支配する竜神を、クシナダヒメは稲田を表しているとみられている。すなわち、毎年娘をさらうのは河川の氾濫の象徴であり、それが退治されたことは、治水を表しているとする。

 

ヤマタノオロチが「洪水」の象徴であるように、ゴジラの大戸島への上陸は「台風」の象徴として行われる。

激しい暴風雨の中で起こった惨劇は、それが本当にゴジラによるものなのか、それとも例年より台風の威力が増しただけなのか、現場に居合わせた東京の新聞記者にも断定できないギリギリの映像表現で表される。

 

しかし、『ゴジラ』はいつまでもゴジラに「荒ぶる神」のイメージにとどまることを許さない。「厄払い」であるはずの「ゴジラ神楽」に何の効用もなかった時点で、ゴジラから「荒ぶる神」のイメージは剥奪された。

 

ゴジラは水爆実験の被害者

続いて『ゴジラ』が語るゴジラは、それが山根博士言うところの「あの水爆の被害によって安住の地を追い出された」水爆の被害者であるということだ。

 

大戸島の調査を依頼された山根博士は、国会の特別委員会の求めに応じて次のように言う。

 

「(ゴジラは)おそらく海底の洞窟にでもひそんでいて、彼らだけの生存を全うして今日まで生きながらえておった。それが度重なる水爆実験によって、彼らの生活環境を完全に破壊された」

 

ここでは、破壊家屋17、死者9名(ついでに牛12、豚8の損害)という惨劇への恐怖よりも、「彼らの生活環境を完全に破壊された」ゴジラへの、山根博士の同情の念のほうが強く表現されていることがわかる。

 

「荒ぶる神」であったゴジラは、あっさりと「水爆の被害者」にイメージを変えている。

 


次のゴジラのイメージは何か。

 

ゴジラによる日本近海での被害状況を報じる新聞記事をめぐる三人の男女の会話は、わずかな言葉のやり取りの中で、ゴジラのイメージを二転させる。

 

「嫌ぁね、原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえ今度はゴジラと来たわ。もし東京へでも上がりこんで来たら、一体どうなるの」

「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な体なんだもの」と若い女。

「そろそろ疎開先でも探すとするかな」と若い男。

「あーあ、また疎開か」と年配の男。

 

「原子マグロ」「放射能雨」が、「長崎の原爆」につながり、最終的には「疎開」で締めくくられている。

 

ここで行われたことは昭和の時間の巻き戻しだ。

「原子マグロ」に表される1954年という『ゴジラ』世界の時間は、1945年の原爆を経て、1944年の学童疎開にまで引き戻された。

 

そして、そうやって1954年に1944年がオーバーラップさせられた状況のなか、ゴジラの一回目の東京上陸が行われるが、このときのゴジラは沿岸地域の鉄道や橋を壊しただけで海に帰っていく。

いわゆる威力偵察というものだろう。

ゴジラと東京大空襲

続くゴジラの本格的な上陸に備える東京で、主人公の尾形は夜空を見上げ、今日こそ山根博士に娘の恵美子との結婚を許してもらおうと場違いな決意を固めている。

 

その尾形が何気なく見ている東京の夜景。しかしここには違和感がある。

何本ものサーチライトが照らしているのはゴジラが来る海ではなく、何も来ないはずの夜空だからだ。

 

そしてついにゴジラによる東京の破壊が始まるわけだが、このときのゴジラの進撃ルートについて、木原浩勝さんという作家が「ゴジラ映画はいかに演出されたか」(『文藝別冊 円谷英二』)という文章の中で次のように語っている。

 

それは東京大空襲の再現(リプレイ)だったはずです。

 

東京大空襲であるならこう撮るはずだという仮説を立てて映像を見ていくと、その仮説通りに見える。

 

『文藝別冊 円谷英二』表紙

このとき、「疎開」という言葉によって1944年に巻き戻された時間が、「東京大空襲」のリプレイを通じ、再び1954年に向けて正転を始めている。

 

ゴジラの二回目の上陸によって焦土とされた東京の映像は、やがて被災者を収容する病院の映像に移っていく。

カメラは次々と負傷した人々の痛ましい有様を映していくが、そのなかでも一番胸を締め付けられるのは、放射能に汚染されてしまったまだ幼い女の子の映像だろう。

 

放射能反応を示すガイガーカウンターに静かに首を振る医師の姿を見れば、この後この少女がどのような運命をたどったかは、日本人であれば容易に想像がつく。

 

B29による東京大空襲のあとに日本人が体験する歴史は、核による被爆以外にはなかったのだった。

 


最後にゴジラは芹沢博士の開発したオキシジェン・デストロイヤーによって滅ぼされるが、山根博士は弟子の死を悼みつつ、こう言う。

 

「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかもしれない」

 

過去に巻き戻された時間はここで完全に現在に復帰し、『ゴジラ』は終幕する。

ゴジラと「反戦」

さて、劇中で語られたゴジラについてのイメージはだいたいこんなところだと思うが、それではぼくらは『ゴジラ』のどこに「反戦」を見るべきなのだろうか。

見ての通り『ゴジラ』には、ゴジラ自身が「反戦」を直接に訴えているようなシーンはどこにもない。

 

しかしその一方で『ゴジラ』が、1954年当時の日本人に、もう一度あの戦争を追体験させてしまう映画であったことも間違いない。

ただしここで注意すべきは、そこには「日本人がアメリカ人にやられたこと」だけしか描かれていないという点だ。日本がアメリカにやったことには一切触れられることはない。

戦争というのはある程度までお互い様であるのに、これはあまりに一方的な表現だと言えるだろう。

 

この件については佐藤健志という作家が『ゴジラはなぜ日本を襲うのか』(ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義)という文章のなかでこう書いている。

 

太平洋戦争のイメージを、コンテキストを無視して(つまり日本人が被害者となった部分だけを)取りこむことによって、これらの作品は暗黙のうちに日本の戦争責任を免罪し、日本人の被害者意識を正当化してしまうのだ。

 

『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』表紙

この説は、1954年当時の日本人のメンタリティーについての指摘という意味では正しいように思える。しかし、その「被害者意識」が、どうして「反戦」に結びついていったのか。

 

初めに言ったように、ゴジラが「反核」映画であることは疑いがない。ゴジラ映画に最も詳しい人間の一人である竹内博さんは、香山滋の原作を子どもむけに編集した『ゴジラ、東京にあらわる』の巻末の解説のなかで

 

この作品のテーマは、今なお世界各国で続けられている核兵器実験に対する反対と抗議です。

と書いている。

 

『ゴジラ、東京にあらわる』

『ゴジラ』のテーマは「反核」であると、子どもたちに向かって断言している。しかし、どこにも「反戦」だとは書いていない。

もちろん、ちくま文庫『ゴジラ』に収められた香山滋自身による『トーク&エッセイ』を見ても、「反戦」という単語はみつからない。

 


では、原作者すら意識していなかった「反戦」が、どうして『ゴジラ』と結びついていったのか。それは、佐藤健志の言う「被害者意識」の「薄れ」にあったとぼくは思う。

 

1954年当時の日本人、つまり戦中派の人々には、『ゴジラ』によって正当化された「被害者意識」と同時に、「加害者意識」もあった。戦争をしてしまったという罪の意識だ。

 

しかしこのとき注意しなくてはならないことは、戦中派の人々は、日本がどうして欧米相手の戦争に踏み切らなくてはならなかったかの理由を知っていたということだ。

一般大衆にはそれすら知らされなかった、と広く喧伝されていることが事実無根のでっちあげであることは、佐藤優氏の『日米開戦の真実』などで完全に論破されている。

 

だからこのときの罪の意識とは、戦争に負けてしまったという結果に始まる。勝ってさえいれば「尊い犠牲」だったものが、全部まるっきりの無駄になってしまったという後悔だ。

つまり、戦中派の「加害者意識」とは、あくまで内向きのものだった。

 

『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』表紙

しかし時が流れるにつれて戦争の記憶も遠いものになり、やがて戦中派も黙して語らなくなった。『ゴジラ』を観る者は、戦争を知らないこどもたちになった。

そして、そんな戦後に生まれた子どもたちには、いわゆる戦後教育が施され、戦前の日本は丸ごと「悪」であると教えられた。

同時に国民のアメリカ化も行われ、アメリカこそ戦前の「悪」の支配者から日本を解放した「正義」だとも教えられた。

 

では、そのような教育を受けた目には、『ゴジラ』はどのように映ったのだろう。

 

戦後生まれには、戦中派が欲した”被害者意識の正当化”という渇望はない。だから『ゴジラ』に癒しを求めているわけではない。戦後生まれにとっては、あの戦争は「他人事」でしかない。

 

しかし『ゴジラ』は、あの戦争で日本がアメリカにやられたことの再現劇だ。そこには今なお、ありありと空襲や被爆の恐怖だけが残されている。それだけを『ゴジラ』は繰り返し繰り返し、新しい世代に見せ続けていく。

 

ここに、戦前を「悪」だとして全否定する戦後教育を足してみれば答えはこうなる。

学校の先生は言うだろう。

「戦争の悲惨さを訴えているのが『ゴジラ』なんだよ。あんなバカな戦争をしたせいで、日本は焼け野原にされたうえ、原爆まで落とされてしまった。全部、むかしの日本人が招いた自業自得なんだよ」

ゴジラと「反核」

『ゴジラ』を語る時、往々にして「反核」とセットにされる「反戦」。

それは要するに、アメリカと戦争をしたことの愚かさを指している。アメリカに逆らったから、あんなひどい目に遭わされた。だから日本はアメリカの言うとおりにすればいい。

 

『ゴジラ』が伝える「反戦」とは、結局のところ、そういうことだろう。

 

もう一度言うが、香山滋も円谷英二も『ゴジラ』に「反戦」のメッセージなど込めてはない。むしろそれは「反核」すなわち、アメリカに対する抗議だった。

 

ならば『ゴジラ』の「反戦」とは、何者かによって故意にねじまげられ、付け加えられた解釈だと言えるだろう。

『ゴジラ』は今も、日本人が自虐的であることを望む、ある人々によって利用されている。

 

ゴジラ(3)へつづく

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