戦後民主主義では「個人」が優先
「戦後民主主義」とは、Wikipediaによれば「大正デモクラシー」の対比語ということになるらしい。いずれも「民主主義」ではあるが、その性質は180度異なるというわけだ。
その最たるものが、戦後民主主義では、とにかく「個人」が大切だ、という点だろう。戦前は、個人の自由や権利が極度に抑圧された。個人はもっと解放されなくてはならない。と。
やがて、個人の自由や権利は学校や家庭でも叫ばれるようになり、父親像や教員像も変化した。家父長的なカミナリ親父は抑圧的で差別的だと否定され、物わかりのいいフレンドリーな父親や先生が求められた。
子どもにも人権はあるのだ。
大人と子どもは(ある程度までは)平等でなくてはならない、と。
———特に出典はないのだが、経験的に70年代はそんな時代だったように思う。
そして、新時代のウルトラを目指した『ウルトラマンA』は、モロにそんな風潮を取り入れた。それまで典型的なカミナリオヤジだった防衛チームの隊長は、物わかりのいいフレンドリーな隊長に姿を変えた。
それが「竜 五郎(りゅうごろう)」だ。
その人となりは、次のエピソードに顕著に表れている。
上官を殴る竜五郎
第14話「銀河に散った5つの星」
ウルトラ4兄弟をゴルゴダ星で磔にし、Aを倒したヤプールは地球人に降伏するよう迫ってくる。
その頃日本のTAC基地に、南太平洋上のTAC国際本部から高倉司令官が到着する。司令官はゴルゴダ星を爆破するための、超光速ミサイルの設計図を持参していた。
作中では何も説明されないが、おそらくゴルゴダ星が地球に接近することは地球に多大な被害を及ぼすのだろう。しかし北斗は当然、ウルトラ4兄弟をも殺すことになるからと反対する。
これに対し司令官は
「今はなによりも地球の危機を救うことが先決だ」
と言って、ミサイルの製造を急がせる。
このミサイルは2段式有人ミサイルで、途中までは人間が操縦するものだった。そして司令官は、完成したミサイルのパイロットに北斗を指名する。それはTACのコンピュータが、TAC内でもっとも有能な人間を北斗だと計算したからだ。
北斗はどうせウルトラ兄弟を殺すなら自分がやるべきだと考え、ミサイルに乗り込み、出発する。しかしここでアクシデントが発生。有人部分の第一ロケットが切り離せないことが発覚する。
このあとの高倉司令官と竜TAC隊長のやりとりはこうだ。
「残念ながら思わぬ事故が起こったようだ。しかしながら予定は変更できない。そのままスピードを超光速に切りかえてゴルゴダ星に突入してくれ」(高倉)
「北斗、その必要はない。ミサイルの方向を変えて、ただちに地球に帰還せよ」(竜)
「竜! 何を勝手なことを!」(高倉)
「計画の指揮官はあなただが、TAC隊員の命を預かっているのはこの私です。これから先は私が指揮を執る」(竜)
「君は! 本部の規律にそむく者は、たとえTACの隊長といえどもただではすまんぞ」(高倉)
「本部の計画はすでに失敗した。責任をとるべきはあなただ。あの欠陥ミサイルの設計図を持って早く本部にお帰りなさい」(竜)
「竜! 作戦は変更しない。北斗隊員、司令官命令だ。そのままゴルゴダ星に突入せよ!」(高倉)
ここでついに竜隊長の怒りの右フックが炸裂する。司令官はみっともなく床に転がる。そのとき超獣出現の連絡が入った。
竜隊長は「ようし、みんな出撃だ」とさっそうと飛び出していく・・・。

民主的な防衛チームTAC
言うまでもないが、ゴルゴダ星の接近によって生じる地球の危機はまだ回避されていない。しかし竜隊長は、何よりも尊重されるべき、北斗の自由と権利を守った。
いいじゃないか、個人の自由と権利が守れるのなら、地球の一つや二つ、宇宙から消えたって・・・。
そして、こんな隊長が指揮するTACというチームは、実に「民主的」な集団だった。パーティーを開いてみたり、みんなで歌を歌ったり、和気あいあいとやっていた。
そして何よりも、TACでは自由な発言が尊重された。
例えば、北斗がいつものようにトンでもないミスを犯す。うなだれて帰隊する北斗を、真っ先に怒鳴りつけるのは(隊長ではなく)山中隊員だ。それを聞いた吉村隊員が「そうだそうだ」と言えば、美川隊員が責めるような目つきで北斗をにらみ、今野隊員が「南無阿弥陀仏」と茶化す。
すると、オロオロする夕子を見かねたように、ようやく竜隊長が「まあまあ」となだめに入る。
・・・まるで小学校の学級会だ。面白いので、もう少し続けてみよう。

第3話「燃えろ!超獣地獄」には、こんなやりとりもあった。
パトロール中の夕子は、空が割れて超獣バキシムが姿を見せたのを目撃し、本部に連絡する。半信半疑の隊員たちだったが、竜隊長は言う。
「北斗からの報告にも、空が割れるというのがあった、単なる幻とは、どうしても思えないんだ」
すると山中隊員が即座に言う。
「隊長、私はそうは思いませんね。大体、空が割れるなんてこと、あるわけないでしょ」

こんなのはどうだろう?
第7話「怪獣対超獣対宇宙人」。
地球侵略を狙うメトロン星人は、山中隊員の婚約者マヤを殺すと、その体に乗り移った。マヤの正体を見破った北斗は、そのことを他の隊員たちに伝えるが、今野隊員が怒り出す。
「悪い冗談はやめろ! おまえ、山中隊員がどんな思いをしてあの炎の中から彼女を救い出したか、わかってんのか? 九死に一生を得て、やっとの思いで助け出された彼女をつかまえて、宇宙人とは・・・宇宙人とは何だ!」
この今野という隊員は、たしか『帰ってきたウルトラマン』ではコーヒーショップの店員か何かで出演していたと思うが、そのままコーヒーを沸かしていたほうが日本のためだっただろう。
科特隊、ウルトラ警備隊はむろんのこと、何かと解散を迫られるMATであっても、隊員たちは私情は殺し、公私混同は避けてきた。が、このときの今野隊員の発言が、TAC隊員今野のものではなく、私人今野のものであることは明らかだ。
TACという組織は、「公」であるはずの基地内部で、平気で私的な感情を元にした議論が行われる場所だった、という一例だ。

ご成功を祈ります!
このように個人の自由や権利を尊重し、メンバー間の平等を重んじるTACというチーム。しかしその本質は、実は早くも第2話「大超獣を超えてゆけ!」に現れていた。
この回、超獣カメレキングに手を焼いた竜隊長は、カメレキングに極限まで接近したうえで、その舌を直接攻撃する「決死のワンポイント作戦」を発案する。そして、自らがその危険な任務を行うと言い出す。
「危険です!隊長」
と、いったんは制止する隊員たち(北斗と夕子はそこにはいない)だったが、隊長の
「危険だから、私がやるんだ」
の言葉に、ビシッと最敬礼をすると
「ご成功を祈ります!」
だってさ。
もう、笑うしかないだろう。
要するに、それによって軍の命ともいえる指揮系統を失おうが、TAC隊員にはどうでもいいことなのだ。
隊長も、おれら下っ端も、一個の命の重さや、個人の自由や権利の量は同じだ。だったら誰がやったっていいじゃないか。それが平等というものだろう。
全く理解に苦しむところだが、彼らはそんな風に考えているのだろう。
・・・いや、竜五郎隊長自身、彼ら隊員たちと同じように考えていたフシがある。
そしてそれは、光の国の最高司令官、ウルトラの父も同様だった。
ウルトラマンA(8)へつづく
