ハカイダーとイナズマン

『人造人間キカイダー』終盤の面白さは、「正義のヒーロー」であるはずのキカイダーよりも、むしろ悪役であるハカイダーのほうが、より一般的な「正義のヒーロー」に近い、という点につきるだろう。
整理すればこうだ。
まずハカイダーは、キカイダーを倒せという単一の命令を受けている。ハカイダーはキカイダーと戦うことだけが目的なので、それ以外の悪事を働くことはない。また、ハカイダーは卑劣な行為は嫌っていて、正々堂々とキカイダーを倒すことを望んでいる・・・。
こんなハカイダーと、同時期の「正義のヒーロー」のどこに違いがあるというのか。
例えば『イナズマン』だ。
イナズマンは、バンバの新人類軍団を倒せという単一の命令を受けている(厳密には志願した)。イナズマンはバンバと戦うことだけが目的なので、それ以外の善行に励むことは特にない。また、イナズマンは卑劣な行為は嫌っていて、正々堂々とバンバを倒すことを望んでいる・・・。
という具合に、キカイダーという「善玉」を標的にしている以外の点では、ハカイダーとイナズマンの言動はほとんど同じだ。
もしも、プロフェッサー・ギルがハカイダーに与えた命令が「バンバを倒せ」であったなら、ハカイダーとイナズマンは仲良く共闘して事に当たったことだろう(最終的な手柄をハカイダーに譲ってやる必要はあるがw)。
ハカイダーの幼児性
だが、そんなハカイダーは、標的であるキカイダーが破壊されてしまうと自分の存在理由を見失い、途方に暮れてしまう。
そのあげくが逆ギレで、自分にキカイダー打倒の命令を下したギルを憎悪すると殺意を持ち、さらにはその怒りを、血を分けた”父親”ともいえる光明寺博士に向けるようになった。
光明寺博士を目の前にして、ハカイダーが絶叫する殺害の動機はこうだ。
「俺はコイツのおかげで、ただの殺人機械にされたのだ!」(第42話)
「殺人機械にされた」と恨みながら、今また光明寺を殺そうとするハカイダーの矛盾。
ハカイダーの精神レベルは、そんな矛盾にさえ気がつかないほど、幼い。
ハカイダーは仲間のダークロボットを蔑んで、言った。
「俺はお前たちのように命令通りに動く低脳ロボットではない」と。
しかしどうだろう。本当にハカイダーと他の「低脳ロボット」の間に、彼が自負するほどの違いはあったのだろうか。
そしてもしもハカイダーが、70年代の「正義のヒーロー」たちと同じヒーロー像であるとしたなら、彼ら「正義のヒーロー」たちはどうなんだろう。
ハカイダーと仮面ライダーの「正義」
ハカイダーは、キカイダー打倒が果たされたとき、自己の存在理由を失ってしまった。それは、それだけが彼の信じる「正義」だったからだ。
しかしハカイダーは、その「正義」がどのように「正義」であるかは考えることがなかった。ただ、キカイダーを倒すことが「正義」だと、ギルに教えられただけだった。
いや、俺は違うぞ。俺は人間の自由と、世界の平和のためにショッカーと戦っているのだ。と、仮面ライダー=本郷猛なら言うだろう。だからショッカーと戦う自分は「正義のヒーロー」なのだと。
だが、仮面ライダーがショッカーを全滅させたところで、実際にはこの世の中が何か良くなるわけではない。そりゃ当然で、それは所詮は虚構の、架空の世界での出来事に過ぎないからだ。
いもしないショッカーという侵略者にわざわざ「人間の自由」やら「世界の平和」やらを脅かさせておいて、おもむろにヒーローにそれを叩きに来させるのが70年代ヒーロー番組の基本フォーマットだ。
要は、仮面ライダーがショッカーを滅ぼしたのちに残るものは、70年代の”現実の”日本の姿でしかない。
仮面ライダーは(歪んでしまっている)虚構の日本を、現実のリアル日本に戻す作業をしているだけだ。そこにあるのは、現実の日本社会の絶大なる受容・肯定であって、現実社会の永久不滅の維持だ。
つまりは仮面ライダーの「正義」とは、現実の日本社会の姿そのものに他ならない。現実こそ「正義」、今がサイコー!ということだ。

アイアンキングの正義
だから、現実の日本を良しとしない立場から見れば、ヒーローの「正義」など茶番でしかない。
その左翼的思想をヒーロー番組に織り込んだ脚本家、佐々木守などは、自分が生み出したヒーロー『アイアンキング』のなかで、ヒーローに向けてこんな皮肉を浴びせかける。
「あなた(※ヒーロー)とあの人は違うわ。あの人たちは革命のために戦っている。自分の思想のために戦ってるわ。でもあなたは命令されて戦っている。そう、あなたは戦うことが好きなだけよ」
「弟は幸せものです。だって弟は自分の思想のために、自分の考えを貫いて死んだんですもの。(中略)あなたたちも、あなたたちの考えを貫いて戦ってらっしゃるんでしょう?」
ヒーローは命令されて戦っている。ヒーローは自分の考えを持っていない。これが佐々木守がヒーローたちに浴びせかけた皮肉だ。
ハカイダーがこれを聞けば、うんうん、たしかに俺はそうであったのー、と大いに納得することだろう。ではイナズマンはどうだ? 仮面ライダーは、超人バロム・1は、変身忍者嵐は、ゴレンジャーは、どうなんだろう?
彼らは彼らが維持しようとする現実の日本社会の、どこがどう「正義」なのか、考えたことがあるのか? 現実世界を無批判・無条件に受け入れ、肯定し、維持しようとする力の先兵になってはいないのか?
『人造人間キカイダー』では、悪役のハカイダーのほうが、実際には「正義のヒーロー」そのものである、という一種のねじれ現象を見ることができた。
では、ヒーローであったはずのキカイダー=ジローは、このねじれ現象にどのような答えを見出したのだろうか。
人造人間キカイダー(11)へつづく
