逆襲のジャミラ

昭和の特撮やアニメで描かれた「自虐史観」「平和憲法」「戦後民主主義」を鑑賞するブログ

快傑ズバット 〜長坂秀佳

『快傑ズバット』名場面 

快傑ズバットのあらすじ

『快傑ズバット』(1977年・東映)のあらすじは至ってシンプルだ。親友を殺された主人公・早川健が犯人に復讐するために旅を続ける。それだけだ。

 

旅の中で早川は行く先々の悪党を倒して回ることになるので、結果的に『快傑ズバット』は、いわゆる「正義のヒーロー」のフォーマットに準じているように見える。

が、これはそう見えるだけで、実態は180度と言っていいくらいに異なる。

 

まず主人公の早川健は、「何をやっても日本一」というバカバカしくも痛快な看板を掲げている以外は、ただの人間だ。

 

そのただの人間が、自分で作った強化服「ズバットスーツ」を着込み、自分で作った改造車「ズバッカー」に乗って、悪党どもと戦う。それもただ、悪党に殺された親友の今際の際の言葉「一緒に戦おう」という約束を守るためだけに、だ。

 

悪党どもも人間だ。

こいつらはヤクザだったり暴力団だったり、普通にどこの街にでもいる犯罪集団だ。

 

もちろん、それらの上位組織として「ダッカー」という悪の総本山が存在するが、これも首領が変テコな着ぐるみを着ていることを除けば、現実の社会と何も変わらないだろう。

また早川は、自分が戦っている相手が「ダッカー」の支部であることを、途中までは知らない。

 

要は『快傑ズバット』とは、いわゆる「正義のヒーロー」フォーマットの枠内で、ぎりぎりのリアリティをキープしている希有な作品だと言えるだろう。

 

快傑ズバットの意義

快傑ズバット大全』(双葉社)のなかで脚本家の長坂秀佳が語るには、『ズバット』をもっとも支持していたのは当時の大学生だったそうだ。

 

そうした傾向のせいか、15%もの高視聴率を稼ぎながら玩具が売れず、スポンサー降板で打ち切りという展開は、アニメの名作にはよくある話だが、特撮ヒーローでは珍しいように思う。

 

『快傑ズバット大全』表紙

さて、そういった『ズバット』にまつわる痛快なエピソードについては「Wikipedia - 快傑ズバット」でも見ていただくとして、ここでぼくが強調したいことは、このようにある程度まともなリアリティを保ったままでも、特撮ヒーロー番組は十分に成立できたという一点だ。

現実社会に本当にいる「悪」を、ただ親友との約束を守るために追いかける男がいてもいい。

 

ズバットを演じた宮内洋はつねづね「特撮ヒーロー番組とは子供達に正義の心を教える教育番組に外ならない」と語ったそうだが、ことこの作品についてはその言は妥当だろう(『V3』『ゴレンジャー』には疑問も残るが)。

 

『ズバット』には一人の人間の「生き様」があり、「父性」として子どもたちが学べるものが多く含まれているとぼくは思う。

長坂秀佳という人

『長坂秀佳術』表紙

それにしても、脚本の長坂秀佳という人はどういう人なんだろう。

 

ご本人が書かれた自伝『長坂秀佳術』(辰巳出版)も読ませていただいたが、その豪放磊落で愉快な人物像は楽しませてもらったものの、ご自身の思想面への言及は多くはなかった。

 

ただその人は、『仮面ライダーX』では「悪」を「米ソ」の陰謀による日本の破壊だと設定してメインライターを降ろされ、『人造人間キカイダー』では東映的な「正義のヒーロー」を最後の最後に否定し、ついには人間が人間と戦う当たり前のヒーロー『快傑ズバット』に行き着いた人だということだ。

 

レインボーマン(1)へつづく

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